本記事を目にしてくださり、ありがとうございます。
高卒でフリーランスのぴよめっとです。19歳、女です。
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漫画で簡単な自己紹介と稼ぐまでの流れをまとめましたので、ご覧ください。

という感じで、SNS×ブログで「文章」を通して稼ぐことができるようになり、今現在もメインは文章で稼いでいます。
業務内容は漫画と被る部分もありますが、webライター・webライターチームのディレクション、コンテンツ製作代行、あとは趣味程度にYouTubeと物販をやっています。
こんな話をすると、大人の方から「どんな教育受けてきたの?」「なんで就職も進学もしなかったの?」と興味を持って頂けることが多いんですよね。
そこで今回は、私が学生時代からどのように生きてきて考えてきて、どうして現在の「ぴよめっと」になったのかを全てお話しすることにしました。
記事の最後では、特典として「文章で発信するためのテンプレート」プレゼントの流れをご用意しています。ぜひ最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
学生時代の経歴
今現在の私は、毎日作業して念願のフリーランス生活を手に入れたわけですが、学生時代の意識の低さはピカイチでした。
そもそもが「働きたくない」という思考の元不登校女子高生が、どう転んだらネットビジネスで結果が出たのか?
その部分について、まずは学生時代の経歴からお話しします。
運動神経だけが唯一の取り柄
特別に頑張らなくとも勉強も運動もできたので、悪く言えば努力ができない典型的な飽き性。

あとは目立ちたがり屋だったので、委員長!団長!みたいなやつは進んでやっていた記憶があります。
小4で親が離婚
父親が本当にクソだったんですよ。毎晩お酒ばっかりで、私が物心ついていないぐらいの頃からもう暴力暴力。

仕事は出来るから稼ぎは良かったみたいなんですが、 それもそれで「俺が稼いでやってんだろ!」っていう偉そうなタイプのクソ親父です。
店員さんにも偉そうだし、私の母に対する感謝もないし、離婚後は養育費数回払って逃げたらしいし、噂によると浮気してたらしい。

そんなこんなで私が小4の時に親が離婚したんですけど、ぶっちゃけ何か変化したかと言えば、当時の私にとっては苗字が変わったくらい。
でもそれって、母のド根性で「子供たちには、離婚を言い訳に不便な思いさせまい」と頑張ってくれたから、いい意味で変化を感じなかったんですよね。
当時キツくても頑張ってくれた母には、これからは楽をして欲しいと思うようになったので、親の離婚は今の私を作った原点でもあります。
高校受験失敗。ドブに捨てた25万円
何でもそつなくこなせる優等生みたいな学生だったはずなんですが、高校受験はあっけなく落ちます。
努力も継続も苦手だったので、受験勉強もラスト1ヶ月ぐらいしかせず、合格者受験番号には私の番号はありませんでした。

滑り止めは受けてたので、親も先生も、そのまま滑り止めの私立高校に入学すると思うじゃないですか。普通。
しかし、落ちた瞬間から私はこんなことを考えてました。
結局高校を落ちたその日に「県立の二次募集受けるわ!」なんて言って、落ちた高校の偏差値マイナス20ぐらいの、商業高校を受験することに。
もちろん先生方からは大ブーイング。進学校を目指していた子が、地元で下から数えた方が早いような高校に入るとなると、大学に関してとか親御さんは〜とか、色々心配されました。
ちなみに、これに関して母は反対するどころか、好きにしなさいって感じだったんですよね。
漫画にもあるように「危ないこと・人に迷惑かけること」以外は、本当に何でもやらせてくれた母です。
そして再受験。二次募集でも万が一落ちたら中卒になっちゃうからと、母の提案で滑り止めの高校には入学金だけ払いました。
結局は県立高校の二次募集に合格できたので、入学金25万円はその私立高校に寄付する形で、私の人生最初で最後の受験が終わります。。。

華のJK生活!は叶わず。グレます。
というわけで、二次募集で受かった県立高校に入学したはいいものの、「ちょいグレ」みたいな時期が始まります。

真面目でおしとやかで、個性的な趣味を持ってる子が多い学校だったので、バリバリ運動部で生きてきた私は全く馴染めず普通に生きてるだけでも先生に目をつけられるんですよね。
目をつけられるから余計に反抗するし、反抗すればさらに目をつけられるしっていう負の連鎖で、ちょっとだけグレてたと思います。

この頃から”授業中は寝るかスマホをいじるか”っていうクソ生徒になっていて、偏差値を下げて入学していたので「勉強しなくてもいいや!」なんて思考になります。

唯一、商業系の科目(簿記とか情報とか)は検定に受かりたかったので頑張りましたが、その他は本当に最悪でしたね。
そんな中高1の冬、唯一学校で仲良くしていた女の子たちと1対3の状況になってしまい、ちょいグレのぴよめっとは呆気なく不登校児となりました。
良くも悪くもお互い原因があると思うので、あんまり被害者っぽい言葉は使いたくないんですが、よくある「ハブり」ってやつです。
不登校期間何をしていたのかと言うと、ブログを更新…とかでもなく、毎日夕方まで寝てバイトして帰って、また寝てました。クソですね。
母とは「高校はちゃんと卒業する」と約束していたのと、幸いなことに不登校になってすぐにクラス替えだったので、高校2年生からちゃんと学校に行き始めます。
かと思いきや、今度は部活に入ったり抜けたりと自己中な素行っぷりをしてました。
元々中学からバスケ部だったので、高校も入学と同時ぐらいにバスケ部に入部し、顧問の指導方針が理解できなくて退部。
部活の先輩とはめちゃくちゃ仲が良くその後また入部するも、先輩が引退して大号泣の末、同学年の部員は私1人だけであとは後輩だらけです。
部長として一応チームをまとめてはいたんですが、「ガチで勝ちに行きたい!」という私と、「楽しくプレーしたい」という後輩とで方向性が合わず。

退部後はさらにバイトに精を出し、週6~7で放課後の全てを近所のラーメン屋さんに捧げてました。
バイトでこんなに稼げるし、卒業後もフリーターでバイトして生きていけば良くない?ぐらいのノリで、高3の春を迎えます。
学校からの進路決定の圧。どうしても雇われたくない!
フリーターで生きていこうと思ってたんですが、学校はそれを許してくれません。
「そんなんじゃ将来困るよ」と言われても、「いや学校の進路実績のために就職させるなよ…」「自分の人生なんだから好きなことさせてよ…」としか思えず。
(お金も学力も何もなかったので、この時進学は考えていませんでした。)
じゃあしょうがないから、とりあえず求人票見てみようかな?と思い、見たんですよ。そしたらもう、ビックリすぎて。
辞書みたいに分厚くまとめられた求人票をめくると、月給10万円。めくっても、月給12万円。さらにめくっても、月給10万円。みたいな。
高卒で就職しようとするとそれが普通なのでしょうけど、普通にバイトの方が稼げるじゃないですか…。
しかも、自分が組織の中で雇われるっていうイメージがどうにも沸かなくて、どうしても雇われるのが嫌で嫌で仕方なくて。
就職したら自由に生きれないし、ピアスも髪色も服装も規制されるだろうし、朝とか起きれないし満員電車無理だし。
みんなと同じじゃなくて、もっと飛び抜けたことがしてみたい。楽しいことだけして生きていたい。

そこで、自由になるためには「自分で稼ぐしかない」と決心します。
「逃げ道」としてネットビジネスを選ぶ
進学はお金も学力もないしできない。そもそも勉強したくないから論外。
就職も雇われたくないし、自由に生きたいから無理。
でもお金は稼ぎたい。

そこからは「どうにかして卒業までに結果を出して、先生たち黙らせて卒業してやる!」という一心で、作業をし始めます。
ここまでが、ビジネスを始めるまでの学生時代の経歴です。
ビジネスを始めるきっかけ
ここからは、私がなぜ数ある働き方の中から「ネットビジネス」を選んだのかについて、お話しします。
実は母がブロガーだった
実は私が高校1年生の頃から、母が副業としてブログを書いていたんですよね。
同時期に私もバイト代でローンを組んでパソコンを買い、やってみようかと思ったものの面倒で挫折。
他にプログラミングも勉強してみたんですが、1ヶ月もせずに挫折。

というのは置いておいて、母がブロガーだったこともあり「これしかない」と飛びついたのが、ブログを含むネットビジネスの世界なわけです。
我が家の教育方針
よく聞かれるのが、「就職せず進学せず今の進路に対して、親はどう思ってるの?」というご質問。
うちの母は、この職業に対して「超絶肯定的」です。
上述のように母自身がブログを書いてることもありますし、それ以前に我が家の教育方針は「やりたいことはやってみなさい」という感じ。
門限は厳しいし心配性なので過保護な部分もあるんですが、「自分の人生は自分で決めるもんだし、親がレールを敷くのはおかしいでしょ?」と言われて育ってきたので、放任と過保護のハイブリッドかもしれません。(笑)
あと母が言うには、今の時代「一つの企業に長年勤めることが美徳」とは限らないし、若いうちにやりたいことしなさいよみたいな。
こんな感じで、やりたいことは全てやらせてもらえてきたので、私がやってみたいと言ったネットビジネスに関して否定されることはありませんでした。

ブログを開設。夏休みの毎日投稿
母に聞きながら、ネットでも調べながら、やっとブログを開設したのが高3の夏です。
そこからは漫画にもあったように、有名ブロガーの発信を見て猛勉強に猛勉強を重ね、自分なりのマニュアルを作成。
学校が夏休みに入ると同時に毎日投稿を始め、遊びも全て断り「ブログ執筆→バイト→ブログ執筆→寝る」という生活をしてました。

1ヶ月後、収益発生。しかし継続の壁に負ける
夏休みの毎日投稿の結果はすぐに現れ、学校が始まる頃には収益が発生するようになっていました。
とは言っても数千円とかなのですが、ブログでの0→1円はデカいと言われますよね。
しかも1ヶ月という短い日数で、自分でお金を稼ぐことができたという嬉しさが大きかったです。
しかしサボり始めます。
継続が苦手と言いつつ50日もブログを毎日更新したので、普通に飽きてました。
さらにその時は9月だったので、学校は2学期が始まり文化祭シーズン真っ只中。
友達とのノリで、謎に文化祭の係みたいなやつになっていたので準備とか色々あったのと、商業高校だったので検定シーズンに差し掛かり、とにかく学校生活とバイトで忙しかったんですよね。
嘘です。ドラクエ11にどハマりしてました。
いや、学校生活とバイトが忙しかったというのも嘘ではないんですが、ちょうどドラクエが発売されちゃったんですよね…。(笑)
というのを言い訳に、高3の9月~12月までは今まで通りの女子高生に戻ってました。
先生方からの圧は勢いを増すばかり
私の通っていた高校は就職と専門学校進学が半分ずつ、残りの1割は大学進学、という感じ。
高3の冬に進路決定していない人たちは、かなり問題児扱いされるんですよね。

その時の私の希望進路は、「ネットで稼ぎたいから、フリーター枠で卒業してバイトしつつ作業すればいいかな」という感じでした。
でも学校は「就職・進学」しか選択肢を与えてくれません。
学校の進路指導として、就職者はこっち・大学進学者はこっち・専門進学者はこっち、と分けられて説明受ける集会とかがあるんですよね。
確かに人とズレたことをしているのは私だけど、「なんで決められた枠にハマらないといけないんだよ」みたいな、もう反抗心しか沸いてこなかったので、その日学校をバックれます。
そしたら翌日呼び出されて怒られたりして、イラつくけど今の自分には実績も何もないから言い返せないしっていう状態。

半年後の転機で鬼バズる
私がある程度認知してもらえるようになったのは女子高生の頃だったんですが、進路指導をバックれて怒られ、無実績で何も言い返せなかったのは高3の12月。
それから卒業までの4ヶ月で何が起こったのかをお話しします。
卒業までに結果を出すと言ったのに、収益はブログから毎月数千円が入る程度。
散々先生たちに反抗しておいて無実績って、普通にダサいじゃないですか。なんか夢だけ語ってる人みたいな気がして。
そこで焦った私は高3の12月中旬ぐらいから、またネットビジネスの舞台に上がりました。
ブログ×SNSで鬼作業。そのノウハウを販売
それまで発信媒体はブログだけだったが、どうやらブログとSNSを併用するのがいいらしい。
というのを知り、少ないバイト代から叩いてTwitter運用に関する教材を2つ購入し、また猛勉強。

ちょうど学生の副業が盛り上がってきた時期だったので、それに上手く波乗りしてTwitterのフォロワーも少しずつ増えていったんですよね。
また、当時有料記事の販売が流行り始めたぐらいで、自分もやってみよう!ぐらいのノリで、今までブログに関して学んできたノウハウを販売し始めます。
「文章力をつけておいて良かった」と思った瞬間でしたね。夏休みのブログ毎日更新は無駄じゃなかった。

寝ても起きても売上が増え続け、むしろ怖かった
もう馬鹿みたいにそのノウハウ記事が売れまして、寝ても起きても売上通知の嵐。
1日4時間のバイトで4,000円ぐらい稼いでたんですが、バイト終わりに通知を確認すると、その間に10万円以上売れていたり。
もう感覚がバグりにバグって、ただ増え続けるスマホ上の数字を見ているだけでした。

計3回バズり、無双状態
そのノウハウ記事を有名インフルエンサーが注目して頂き拡散。まず1回、バズりました。
そして同時期にwebメディアの取材をして頂き、その取材記事がYahooトピックスに乗ります。2回目のバズです。
もうその時点でさらに売上は増え続け、高校生にして月収100万円を超えていましたね。。。

極め付けに地上波の朝の情報番組で取り上げて頂き、ピーク時には10分間でフォロワーが600人増えるという、3回目のバズを経験しました。
という感じで、進路指導にもがいていた女子高生ぴよめっとは、先生方に「社長ですよ私!」なんて言いながら高校を卒業することができました。
さいごに
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
ここまで、私がどのようにして生きてきたのか、どのような経緯でこの業界を選び、稼いだのかをお話ししてきました。
以上で、ぴよめっとのプロフィール【前編】は終わりますが、良かったら感想などツイートして頂けると喜んでリツイートします!
最後に、冒頭でお話ししていた特典の「文章で発信するためのテンプレート」をお渡しします。
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